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『イオカステの揺籃』 遠田潤子  (中央公論新社)

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『イオカステの揺籃』 遠田潤子  (中央公論新社)

営業本部:野尻のおすすめ



遠田潤子さんの作品を読むときは、いつも読める喜びと同時に気合が必要になる。
端的に言えば、その重さ故に軽い気持ちでは読めないからだ。
ただ、その重厚さが小説を読む醍醐味でもあり、やはり心地よい。
今回の「イオカステの揺籃」も同様、
読後、なんともすごい作品を読んだという実感と充実感に満たされ、しばし放心し、軽々しく感想をまとめられないな、と思った。

今回はまとまらないまま、読後に感じたことをそのまま書いてみようと思う。



無償の愛であるべきと信じる母の愛と、
母に愛されたいと願う無垢な想いとの狭間を、
揺籃のように行ったり来たりする物語に、
心が痛み、切なくなり、時に不安に、そして恐怖さえ感じた。

男である現在の自分は、一人の息子であり、一人の夫でもある。
この物語を読んでいると、
そんな当たり前の自分の立ち位置がゆらぎ、バランスを失いそうになる。
一人の女性でもある”母”を消費していないだろうか。
”妻”ともただもたれ合うだけの関係になっていないだろうか。
自分は本当にしっかりやれているのだろうかと。

読後は放心して、何も考えたくなくなった。
何もしたくなくなった。
それほどの物語だ。
遠田潤子さんの各物語は深淵だ。
凄まじい作家だ。