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「読まない」というのは「読むもんか!」という拒否の意ではない。
むしろ積極的に「読まずに読もう!」という試みだ。
『罪と罰』を読んだことがない、導入だったり話の筋はなんとなく知っているけど細部までは……そういった面々が集い、どこかで得たわずかな知識と、ランダムに開いたページの内容だけを手がかりに内容を推理しよう!
といった、暇を持て余した人々の遊びのようなことを現役の錚々たる作家陣がしてくれている。
実際本好きの人でも、罪と罰(というかドストエフスキー)は読んだことがない、けれど「主人公が誰か殺すんでしょ?」みたいなあやふやな知識を持っている人は多いのでは?
(ちなみに私は大島弓子の漫画版しか読んだことがない。これは白泉社文庫『なずなよ なずな』に収録)
この結構すごいメンバーが、ジャンプ漫画のこれからの展開を予想する小中学生みたいに、あーだこーだとそれぞれの頭に浮かぶ”マイ罪と罰”を披露していくさまはどこか可笑しい。
とくに三浦しをん氏は、自説を推すときの熱がすごい。
知っている部分についての話題では「そこはそうじゃないんだよな~」とちょっと優越感を覚えつつ、読み進めるうちに自分の記憶の蓋も少しずつ開かれて、そういえばこんな流れだった、こんな登場人物いなかった?
と、気づけば一緒に読書遊びに興じている。
普通に読んだってもちろん楽しめるのだけど、「読まない」ことでも本はこんなに楽しい。
本の楽しみ方に正と邪があるならこちらは邪かもしれない。
でも「読まない読書会」いつかどこかで私もやってみたい。