仕事もあり、帰る家もあり、そこには自分の好きなものもある。
側から見たらそこそこ自由で快適な暮らしぶり、自分が選び取ったもの、選ばなかったもの、それらで作られる半径何メートルかの幸福には"憂鬱のベール"がかかっているような気がしている。
そういう心のざわめきは、この主人公とある程度似た境遇の人だけのものなのだろうか?
『ときどき旅に出るカフェ』は、店主が世界のあちこちを旅して知ったさまざまな料理を提供してくれるお店だ。
苺のスープ、ロシア風チーズケーキ、香港式アイスレモンティーといった、それこそ旅に出た感覚を味わえそうな異国の食べもの飲みものの魅力はもちろん、息が切れそうなときに人心地つけそうな場所、という点でもとてもとても魅力的で、わが家の近所にこんなお店があったら……と夢想してしまう。
大げさな歓迎なんてしてくれなくていい。常連になって特別扱いされたいとも思わない。
ただ自然に迎え入れて、送り出してもらえたらいい。
そういう場所ができたからって、常にご機嫌でいられるわけでも悩みがふっ飛ぶわけでもないのはわかっている。
この先も先行きはあいかわらず不安だし、どうにもならない悪意に晒されることもあるし、自分がいやになる瞬間もおとずれるだろう。
それでもなにかにぶつかったり縛られたり息苦しさを感じて戦ったとき、耐えているとき、逃げ出したとき、楽に息がつける場所のありがたみは何物にも代えがたい。
人生観が変わるような強烈な読書体験にはならないかもしれない、でもこの本が、そういう場所が必要な読者にとっての『旅に出るカフェ』になってくれるかもしれない。
それになんといっても、この世でいちばんおいしそうな食べものはいつも本の中にあるのだから。