ただ、いる、だけ。
居るだけのことが難しくて息苦しい。
居るだけを、社会のさまざまな目が許してくれない。
仕事の手伝いに来たけどすることがなくなってしまいぽっかりと空いた隙間や、何かしらの集まりで、なんとなくどの集団にも属せずに近くの会話に半笑いで混ざっている、といった「場面」に居心地の悪さを覚えるように、そもそも「社会」そのものに居られない、と感じてしまう人たちもいる。
けれど「市場の透明な光」に照らされたこの世界では、ただ、いる、だけ、がどんどん後ろめたく、つらいものにされていく。
精神疾患等の理由で、社会に居ることが難しくなった人たちの居場所となるデイケアでの日々、
居られなくなった人たちの「居る」を支えるケアの風景、”ケア”とは、”セラピー”とは……
ここにあるのは、ごく限られたデイケアという場所で起きた話であって、その場所のみの話ではない。
この社会の中のさまざまな場所で、ケアする人もされる人も「居る」ことができる、息をしていられるように、と思わずにはいられない、不透明な光に満ちている。