
目次の「ゆらゆら帝国」「古畑任三郎」「エレキベース」「NUMBER GIRL」あたりの単語におっとなったので。
「何かを好きなのに理由なんて必要ない」それはそう。
それはそうとして、自分の中にある「好き」が光るときに目を凝らしてみる。散らばる「好き」をつぶさに拾い上げる。
好きについて語ることと自分を語ることに境目はなくて、好きなものが自分のどこかにくっついて少しだけ混ざっているような感じ。「好き」も「私」も、違う組み合わせであったら生まれない感覚の発露が気持ちよくて、本文とそこから派生した四方山話が視線を8の字にぐるぐるさせて、なんだか過剰なほどの没入感すら覚える。生きているからこその熱が伝わって息つく間もなく読み耽った。
ついでに言うと、ゆら帝のライブに行こうか迷って次の機会にと見送ったら、そこから少しして解散してしまったことも久しぶりに思い出してしまった。